久しぶりに書く。なんともない話を。
書いてないと言われると辛い。
blogとか日記とかホームページだとか。

言葉はいつしか正義を帯びる。
ラジオの中の人は壁の向こうかマイクの中に沢山の人を見れる。
だが、多くのテキストサイト/日記サイト/blogは自分に対して語っている。
自分との対話。それでいいじゃないか。とも想う。
自分しか居ない世界で話していれば、いつしか言葉は正義を帯び、抽象化し、
楽屋オチ以上の自分内ギャグがはびこってしまうかもしれない。
自分用エンターテイメントでもいいんじゃないの。いっそのこと。

つながりたくない訳では多分ないんだけど。
でもある種、世界はやさしいから。
誰だって落ち込んでるヤツが居れば慰める。俺だってそーする。
しかし、世の中、落ち込みたいヤツだって居る。

言葉を書くと言う事。言葉を読むと言う事。言葉を考えると言う事。
それが好きなんじゃない?それだけでもいいのかもしれない。

ファンレターは送らない。繋がりたくない訳じゃ多分ない。
でもファンレターは送らない。送る方じゃなかった。
ただ、好きって言いたい。面白いって言いたい。それだけなんじゃないか。

インターネットだから、ログが積み重なると想ってた。記録が積みあがってくと想ってた。
逆だった。記録を恐れて皆消し去って消えて行く事を好んだ。
むしろ、記憶の世界じゃないのか。
面白かった記憶。面白かった記憶。面白かった記憶。
消したくなったけど、まぁいいや。

ぶっちゃけ誰にも読まれてないという安心感は実はほしかったりする。
ロバの耳って叫びたいよね。
それは聞かせたいの?聞こえてほしくないの?でも叫びたいの?つぶやくだけじゃ駄目なの?
肥溜めみたいなもんだしね。反響音を聞きたいだけかもしれんね。
そして聞かせるつもりではない言葉が漏れ聞こえて、それが真実であると。
そんなんが理想なんじゃない?俺ってばよ。